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論文を読む · 神経科学

ハエの脳の「配線図」は、
何を変えたのか

ハエの脳をコンピューターで動かす。そんな話題の背景にあるのが、脳の「配線図」です。2024年のこの論文は、成虫のショウジョウバエの脳全体で、どの神経細胞が、どの細胞につながるかを地図にしました。

139,255個再構築した神経細胞
約5,450万個それらの間の化学シナプス
1匹成虫のメスが対象

数値は論文のFlyWire v783。シナプスは細胞間で信号を受け渡す接続点で、同じ2細胞の間にも複数あります。

1. 脳を「つながりの地図」にする

この地図をコネクトームと呼びます。道路地図が道のつながりを示すように、コネクトームは神経細胞と接続点を示します。今回の特徴は、脳の一部分だけでなく、左右の視覚を処理する領域も含めて、脳全体をたどれることです。

図 1顕微鏡の画像から、脳の配線図へ
01 撮る

薄い切片を電子顕微鏡で撮影した画像を使う。

02 つなぎ直す

AIが細胞を分け、人が分断や誤った結合を修正。

03 地図として公開

細胞の形、接続先、種類などを検索・分析できる。

論文のFig. 1と再構築手法をもとに作成した模式図。実際の細胞形状や接続を描いたものではありません。

AIだけで完成したわけではありません。研究者や市民科学者が修正に参加し、人手の確認には合計で約33人年が費やされました。1人が33年間取り組むのに相当する作業量です。

2. 「光を感じて姿勢を直す」道筋を探れる

地図があると、感覚の入口から、運動の指令を送る出口までを追えます。論文では、頭の上にある小さな目「単眼」に注目しました。単眼からの明るさの情報と、大きな複眼からの動きの情報が、下行ニューロンという身体へ信号を送る細胞に集まっていました。

図 2配線をたどると、行動の仮説が生まれる
単眼明るさの情報
複眼動きの情報
下行ニューロン身体へ信号を送る
脳の出口
機能の仮説頭や身体の
姿勢を調整
論文Fig. 7の要点を簡略化。矢印は複数の細胞を経る経路を含みます。姿勢調整のしくみは、配線から提案された仮説です。

左右からの信号を促す・抑える接続の組み合わせから、著者らは左右の明るさの差を使って姿勢を調整するしくみを提案しました。配線図は「どの細胞を調べればよいか」を絞り、実験で確かめられる仮説を生み出します。

3. 配線図があれば、脳は動く?

シミュレーションには、地図に加えて「どの刺激で細胞が反応するか」「信号がどれほど強く伝わるか」といった動作のルールが必要です。道路地図だけでは、その瞬間の交通の流れまでわからないのと似ています。

この論文の成果は、脳を調べ、モデルを作るための配線図。
仮想のハエを動かす研究やアプリは、その配線に神経活動や身体のモデルを組み合わせたものです。

また、細い枝にある接続には取りこぼしがあり、電気シナプスは対象外です。1匹のメスの脳なので、個体差や性差もあります。全身の神経系や、その個体の記憶・意識まで丸ごとコピーしたと示す研究ではありません。

実際のデータをのぞいてみる

公開サイトFlyWire Codexでは、細胞の形や接続をブラウザで調べられます。論文と同じデータはFAFB v783です。閲覧にはGoogleアカウントでのログインが必要です。まずは「脳の配線図を見る」ところから触れてみると、この研究の大きさが実感できます。

データが5種類あるけれど、どれを選ぶ?

トップ画面のFAFB・BANC・MANC・MAOL・MCNSは、性別と、地図にした身体の範囲が違うデータです。同じ脳の新旧バージョンが並んでいるわけではありません。今回の論文をたどるなら、まずはFAFBを選べば大丈夫です。

5種類のデータと、調べる対象の目安
データ 何が入っている? 選ぶ目安
BANCv888 メスの脳+腹側神経索158,262個 脳から身体側へ続く回路を追いたい。
MANCv1.2.1 オスの腹側神経索23,665個 脚や翅の運動を支える、身体側の回路を調べたい。
MAOLv1.1 オスの右視葉52,445個 見るための情報処理に注目したい。
MCNSv1.0 オスの脳+腹側神経索166,700個 オスの中枢神経系を広く調べたい。

名称・神経細胞数は公式トップ画面の2026年9月17日時点の表示。選ぶ目安は、各データの収録範囲から整理したものです。

腹側神経索(VNC)は、身体側で感覚や運動を処理する神経の集まり。脳と合わせて中枢神経系(CNS)と呼びます。視葉(OL)は視覚を処理する脳の領域で、OL/RのRは右側。名前の後ろの「v」はデータの版番号で、大きい数字ほど高性能という意味ではありません。

「ハエを動かしたい」なら、使うシミュレーターが対応するデータを選ぶ。
配線の範囲が広くても、それだけで身体が動くわけではありません。FAFB向けのプログラムにMCNSをそのまま差し替えられるとは限りません。

画面の「接続数」が、論文の数字と違う理由

冒頭の約5,450万個はシナプスという接続点の数。画面の「connections」は、細胞間のつながりを数えたものです。同じ2細胞の間に複数の接続点があるため、別の数字になります。さらに、接続として数える最低シナプス数もデータごとに異なるので、表示数だけで「どちらが複雑な脳か」は比べられません。詳しくは公式FAQを参照してください。

自分で分析するためのダウンロードは、FAFB・BANCならCodexの「Download Data」から。MANC・MAOL・MCNSは各プロジェクトの公式配布先を使います。入口は公式FAQにまとまっています。

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